美観地区の「桃太郎のからくり博物館」はガチでディープな桃太郎スポットだった!
情緒あふれる町並みが魅力の倉敷美観地区。そのランドマークである倉敷川沿いから1本路地を入り、白壁通り方面に歩いて行くと、一際目を引く桃太郎とイヌ、サル、キジの人形が立っています。ここが「桃太郎のからくり博物館」。「不思議」「おもしろい」「怖かった(?)」などなどいろんな評判が聞こえてくるこの施設に潜入してみました。
目次
ガチで怖い!?体感型アトラクション「鬼ヶ島」
「桃太郎のからくり博物館」見どころの一つ、体感型のアトラクション「鬼ヶ島」!博物館の奥にあり、鬼が潜む鬼ヶ島洞窟を体験できます。入る前から周囲が薄暗く、なにやら不気味な雰囲気を感じますが…。さっそく入ってみました!
入り口には「鬼のくしゃみに注意を」という注意書きが!ドキドキしながら洞窟に足を踏み入れると、すぐ○○○○(内緒)という“くしゃみ”に襲われ、思わず叫んでしまいました。
さらに奥に進んでいくと、あちこちにいる鬼がガタッと動きます。ついつい足元や左右を気にしてしまいがちですが、〇〇に鬼が○○○(内緒)こともあるので、要注意です。
厄を払い、無病息災や豊作をもたらすといわれる秋田のナマハゲもいました…!かなり近くで見ることができて、迫力があります。
中にいる鬼たちは時々入れ替わることもあるそうなので、違いを見つけるのも楽しいかもしれませんね。
フォトスポット「錯覚からくり」と楽しく撮影
館内には、視覚の錯覚を利用した体験型のからくりが多く展示されていて、こっちは小さな子どもから大きなお友達まで安心して楽しめます。そう。ここは美観地区の隠れたフォトスポットでもあるのです。
例えば、この大きな桃。中身は空のように見えますが、近付いてみると大きな桃太郎が現れます。
各からくりではスタッフさんが丁寧に遊び方や解説をしてくれるので、楽しくまわることができました。
「桃太郎のからくり博物館」とは?
この少し異色な不思議施設「桃太郎のからくり博物館」は築200年ほどの元旅館を改装して作られた桃太郎の博物館。子どもから大人まで楽しめるからくりや体感型アトラクション満載で、もちろん桃太郎にまつわる貴重な歴史資料も豊富に展示されている楽しくて「ガチ」な桃太郎の博物館です。桃太郎が大好きで、造詣の深い館長の住宅正人さんに、貴重な資料や、桃太郎に関するディープな話をお聞きしました。
県民も改めて知るべき そもそも、岡山が「桃太郎」で有名なワケは?
桃太郎は、今でも絵本などでよく目にする日本の代表的な昔話です。一般的なストーリーは、洗濯中のおばあさんが川で大きな桃を拾い、そこから生まれた桃太郎が成長した後、きび団子と引き換えに家来にしたイヌ・サル・キジにとともに鬼退治をするというもの。
実は、この桃太郎の物語は、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が温羅(うら)を退治したという岡山に古くから伝わる鬼退治伝説がモデルだとする説があり、岡山では行政によってさまざまなPRに力が入れられてきました。また、もともと岡山には吉備国(きびのくに)があったことや、岡山の名産品である桃が物語に出てくることなども共通点として浸透しています。
研究者も注目するほど 桃太郎の歴史資料が豊富!
楽しいアトラクションだけでなく、所蔵数1,000点にのぼる桃太郎や鬼にまつわる貴重な資料も必見です。資料のために研究者が来訪することもあるほど本格的なコレクションが展示されています。
恐ろしい鬼を倒して欲しいという人々の願いは非常に強かったため、全国各地にさまざまな英雄による鬼退治伝説が存在します
──数ある鬼退治伝説のなかで、桃太郎の話ができたのはいつ頃ですか?
住宅館長:
桃太郎の話は室町時代に成立したと言われていいます。というのも、イヌ・サル・キジがきび団子と引き換えに家来になって戦うストーリーは、“御恩と奉公”という武家社会の仕組み。そのため、平安期まで遡ると少し辻褄が合わなくなるんです。桃太郎のモデルが誰なのかは諸説ありますが、現存する研究書の中で初めて触れられているのは、江戸時代後期に発表された燕石雑志です。
ここにしか無い!?桃太郎にまつわる貴重な展示品を紹介
「燕石雑志」滝澤馬琴 1811年
燕石雑志は、「南総里見八犬伝」で知られる滝澤馬琴が古今のさまざまな事物の見解を示した書物で、日本の伝承の一つである桃太郎も取り上げられています。その貴重な初版本の実物を間近で見ることができました。
このなかで桃太郎のモデルと言われているのは、平安時代の武士である源為朝。その根拠として、為朝の武勇伝を記した軍記物語「保元物語」の中で、現在の伊豆諸島にある鬼ヶ島(青ヶ島)に渡ったというエピソードが挙げられています。
また、滝沢馬琴は桃太郎の家来となるイヌ・サル・キジが陰陽五行思想と深く関わっていると考察しています。陰陽五行とは、自然界のものを全て「陰」と「陽」という、相反する二つの要素でとらえる考え方のこと。その中で鬼がやって来るとされる“鬼門”の方角は北東、干支で示すと丑寅とされています。一方、その反対にあたる“裏鬼門”は南西で、干支を当てると猿・鳥・犬、つまり桃太郎の家来と同じなのです。
この燕石雑志が発表された後、しばらくは他の説が現れなかったものの、明治以降に他のモデルの名前が挙がりはじめ、昭和に入ると桃太郎伝説の舞台とされる場所も全国各地に現れます。そして岡山でも、吉備国にいた温羅という鬼を大和国からやってきた吉備津彦命が倒したという鬼退治伝説を桃太郎伝説のモデルだとする論文『桃太郎の史実』が1930年に発表されました。
──昭和初期に次々と桃太郎伝説の地が発表された理由は何かあるのでしょうか?
住宅館長:
大正末期に関東大震災が起き、10万人を超える死者が出ました。それに続いて昭和に入るとすぐ昭和恐慌で経済が落ち込んだため、その対策として町おこしを考えた結果、最強のキャラクターである桃太郎に頼る地域が複数出てきたのでしょう。
「桃太郎の史実」 難波金之助 1930年
“桃太郎岡山説”を初めて発表した論文です。ここでは、燕石雑志をベースに桃太郎伝説が陰陽五行の影響を深く受けている点に着目し、その考えを中国から日本に持ち込んで桃太郎の話を作ったのが吉備真備だとしています。
岡山出身の吉備真備は遣唐使として中国に渡り、右大臣にまで昇進した人物。そして温羅を退治したとされる吉備津彦命も吉備一族であるため、吉備真備が先祖の武勇伝を自身が持ち込んだ当時最新の学問である陰陽五行で脚色し、子どもにも分かる鬼門封じの物語として広めた、という内容です。岡山で桃太郎が特に盛り上がったのは、この論文の発表時期以降だといいます。
「簠簋抄(ほきしょう)」 1671年
吉備真備が陰陽五行を日本に伝え、安倍晴明に伝えたことが書かれており、岡山説の根拠としてよく使われる文献です。ただし、吉備真備と安倍晴明は、本来生きた時代が合わないという矛盾点もあるのだそう…。
「錦絵 伽噺桃太郎」 菱川春宣 1890年
桃太郎の浮世絵としては最終期の作品。背景に富士山が描かれており、左端に見える山は山梨県の百蔵山と言われています。実は近年、山梨県も桃太郎伝説の地としてPRに力を入れているのだそうです。
さまざまな桃太郎
まとめ
楽しいアトラクションで遊べるだけでなく、ディープで面白い知識を学べる「桃太郎のからくり博物館」。子どもから大人まで、時間を忘れて楽しめることでしょう。
なお、館長の住宅さんは、実は「ちくわ笛」の名手としても有名な方。館内にいらっしゃる時にお願いすると、演奏していただけることも!素敵な音色を聴くことができるかもしれませんよ。
桃太郎のからくり博物館
場所:倉敷市本町5-11
入館料:大人 600円 小人 400円 幼児(5歳以上)100円
開館時間:10:00~17:00
休館日:年中無休
※小・中学生・幼児の入館には保護者の同伴が必要です。(校外学習の場合を除く)
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